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栃木県農業大学校 旧陸軍宇都宮飛行場(清原飛行場) 掩体壕

日本 > 関東地方 > 栃木県 > 宇都宮市 >

栃木県農業大学校(栃農大)の敷地内にある、旧宇都宮飛行場(清原飛行場)跡地の2基の掩体壕について、数年前に存在を知り、いつか見に行きたいと思っていた。2015年11月21~22日に開催された学祭(農大祭)を機に訪問してみた。
※掩体壕:太平洋戦争時代の航空機の格納庫

[別ウィンドウで地図を見る]

▼JR宇都宮駅バス停より益子粋のバスに乗って所要時間約24分、栃農大前バス停で下車、運賃490円。

▼バス停目の前がすぐ正門

▼学祭イベントを横目にさっさと目的地に向かう。

▼掩体壕のおおよその位置は数年前に調べてマッピングしてあったので、それに向かって突き進む。平らな舗装路が途切れ、なだらかな丘陵地に突き当たる。部外者が勝手に入っていいのかなと戸惑いつつ草むらの道を歩いてみる。紅葉しかけの木がきれい。

▼およそ250m先の林の中に掩体壕を発見。でかい!!府中の掩体壕の2~3倍近くある?でも電気柵が張り巡らされていて、ここから先に進むことができない。

▼どうにかあそこまで行ってみたい。

▼一度引き返して一本隣の道からアプローチしてみる。でもここも電気柵で囲まれて行き止まりになっていた。

▼うーむ…なんとかあそこまで行きたい…

▼ふたたび引き返して更に一本隣の通路へ。うっしーがいる牛舎を横切ってく。

▼イチョウの紅葉がきれい…

▼銀杏も落ちてる…
やはりここも電気柵があって行き止まり。

▼どの道からも掩体壕へアプローチできないことにガッカリしながら引き換えす。構内に立派な石蔵があった。

▼はー銀杏きれいだなー(がっかり)

▼せっかく東京から来たんだしと思い、ダメ元で掩体壕の方まで行ってもいいか職員の人に尋ねてみた。するとあっさり現地まで道案内してくれることになった。普段は牛を放牧しているので電気柵を設けているらしい。牛が往来しているので足元がぐちゃぐちゃだし、糞も落ちている。「普段は自由に立ち入りできないんですよね?」と尋ねると、そんなことはないというような口調。部外者でも意外と自由に往来できるのかな。掩体壕は以前4基あったが、そのうちの1基は果樹園の方にあったが埋めてしまって今は2基になったと言っていた。

▼電気柵を何度も通過した。

▼やっと辿りつけた。カンドー!柵が張り巡らされていて中にはいることはできないが満足。この辺は旧陸軍宇都宮飛行場(清原飛行場)の南端に位置するらしい。

▼スズメバチの巣っぽい丸いものがいくつかぶら下がっている。コンクリートは崩壊している部分もあるが、70年前のものとしてはかなり立派に残ってる。

曇りだし雑草が生い茂って内部の様子はあまりよく見れない。

掩体壕に関しては、この辺のサイト様などが詳しい。
旧軍の遺構・資料館・博物館等…関東編:番外編Ⅲ(No.5)(音量注意)
『「掩体壕(えんたいごう)」栃木県宇都宮市上籠谷町1145-1栃木県農業大学校敷地内』 [宇都宮]のブログ・旅行記 by しんちゃんさん
土木学会関東支部 悠悠・土木 _ 土木遺産 _ 栃木県の防空関連施設群
kanレポート 宇都宮陸軍飛行場

職員さんにお礼を言いつつ、この奥にあるもう1基の掩体壕も案内してもらえないでしょうかとお願いしてみた。図々しいかもしれないけど、聞かないで諦めるより聞いて断られる方がきっと後悔しないと思って。職員の人は竹が生い茂って見れないんじゃないかと言っていたが、一応入り口までは案内してくれた。

▼職員さんはしきりにこの辺りの様子を伺っていた。ここにも道があったのかな。しかしダメそうだと判断すると、もう1本の道の方に向かう。

▼こっちは正規の地図にも記載されている真ん中の道。荒れ放題で藪漕ぎが必須そうだけど、先ほどの場所よりは若干踏み跡らしきものが残っている。こんな奥まで職員さんを付き合わせるのは悪いので、後は自分一人で探してみますと言って職員さんに帰って頂いた。

▼職員さん、有難うございますです。

▼途中までは明確な踏み跡が残っていて、訪れる人がそれなりにいるのかな?と思わせる状態だった。

▼鮮やかに色づいたカラスウリや蒲の穂やいろいろな実がそこいらじゅうにあって自然探索が楽しい。

▼しかし途中から踏み跡が消えてしまって、道は完全に荒廃。棘のある植物が多く、藪の背丈も胸の高さ以上あったりして、前に進むのがきつい。栃農大のキャンパスマップではこの辺も一応植林地ってことになってるけど、昔の話だろうなあ。昔はこの辺も旧水田だったのかもしれない。

▼ヤブの中に人工的な側溝もあるのだけど、そうでない所も湿地っぽくて足元がおぼつかない。蒲の穂があるんだから一帯ぐちゃぐちゃなのかも。

▼引っかき傷だらけになりながら、ヤブの中を頑張って進むと、緑色のフェンスに囲まれた沼に突き当たった。地図にも記載されている沼なので、位置関係は把握できる。でもまわりが1m進むのも大変なほどのヤブや竹だらけで、ここからどうやって掩体壕まで行っていいのかわからない。

▼職員さんの言葉通り、まわりは竹だらけ。間引きしてない竹林ってひどいものだな…20cm~30cm間隔で竹が生えているから痩せてないとすり抜けるのが困難。

▼これくらいの沢ならまだ良いのだけど

▼見通しの悪い藪の中に結構深さがありそうな川(水たまり?)もあって、ヘタすると落下したり足をとられそうで、歩を進めるのに勇気がいる。ここで何か事故でも起こしたら案内してくれた職員さんに迷惑がかかるなーと思って、残念だけど掩体壕はあきらめて引き返すことにした。

▼前方の、それほど遠くない所に民家の屋根が見える。あと少し進めればちゃんとした舗装路になるだろうに…と思うと、未練を感じる。100mあるかないかの短い距離さえ足元がよくわからない状態で進むことができない。

▼でも、もうちょっと頑張って民家の方まで様子を見てくるか…と足を進めたところでズボッとやってしまった。硬い石ころが転がってる川じゃなくて、まるで自然の田んぼみたいなドロドロの泥が溜まっている場所だったので、足が泥にめり込んでいき、こんなひどい目に…

▼ショックを受けて一目散に退散した。しかも帰りは電気柵をくぐる際にちょっと触れてしまい、ビリっときた。なんかもう、身も心もぼろぼろな状態。

▼後で自分の歩いた軌跡を古地図に重ねあわせてみたら、この辺りは明治大正時代から湿田・水田だったようす。

昔の栃農大掩体壕周辺
航空写真昭和前期(5万)明治大正(5万)

start

掩体壕を一つしか見れなかったことに消沈し、また足元ドロドロの格好で人前を歩くことに恥ずかしさも覚えながら、農業大学校を後にした。帰路のバス停に向かうと、バスが来る時間まで間がある。それで時間つぶしと、ドロドロになったズボンの乾燥を兼ねて、車道を回って農業大学校の敷地の反対側に回ってみようと思い立った。

▼ぐるっと回って栃農大の正門と反対側の敷地の端の通りに出てみた。

▼この辺からもう一つの掩体壕にアプローチできないかなーと様子を伺っていると、民家の中に何か白い不気味な人影がある?

▼近づいて見ると、猿と骸骨の像だった…普通の古い民家の敷地内なのに…なんだこれ。

近くで何か作業をしている人がいたので、「すみません、この像の写真をとってもいいですか」と(既に撮っていたが)尋ねると、そこからいろいろ話が発展し、結局その人が掩体壕の場所を知っていたので、私有地を通って掩体壕まで道案内をしてくれることになったのだった。あんなに必死に藪漕ぎして探したのに、いとも簡単に見つかって拍子抜け。

▼ちなみにこの像は、ぱなぱなという花のイベント(?)で出品されたもので、安く売られていたのをここのアパートの大家さんが自分の趣味で購入されたものらしい。核兵器後の世界みたいな設定の像で…「猿の惑星」的で面白い趣味だなー。

『第二章の始り この猿人は何を考えているのでしょう? コンピューターや、核兵器を生み出した人間がいつの日か地上の全生物を死滅させてしまう。そして、数億年後、再び誕生した生物が同じく進化の家庭をたどり、原人登場となる。その原人が地上に残された放射能容器のドラム缶に腰かけ露出した人骨やパソコン等を見やり、「進化論」を片手にして20世紀末の今自然の大切さと自分の未来を考えている姿です。』

▼猿人の像の隣には古い木製柱。昔の街灯の柱らしい。

▼プレートの文字は「加圧式クレオソート 日産農林互業KK 越中島互場(32) 62」

▼大谷石の門柱。東日本大震災の際、宇都宮市は震度6強で、この辺も被害が大きく、この門柱も崩れたのを直したらしい。

▼道案内してもらって辿りつけた掩体壕

▼崩壊した部分の断面のコンクリは荒い砂利がたくさん混じっている。「質が悪いコンクリだから粗いんですね」と私がいうと、道案内人さんは逆だという。むしろ荒い石をたくさん混ぜて濃度の高いコンクリートを使用しているから戦後70年たった今でもここまでしっかりした形で現存しているのだという。言われてみれば戦後に建設された近代建築の方が老朽化が早く次々解体されていってるなーと…あれは発展の回転率を高めるためにコンクリ濃度を薄くした結果でもあるのかなー。また掩体壕に使用されている鉄筋は細く貧弱だったが、その分繊細に鉄筋が張り巡らされているみたい。そういえば府中の掩体壕もかなりコンクリートが荒く見えたが、あれも実は逆に質が良かったということなのかなー。

▼足元に落ちているコンクリ塊。苔もついてないし、比較的新しくみえる。もしかしたら東日本大震災の際に落下したのかな。

道案内人さんに、清川軍用線(廃線)の場所(清原中学校そば)も教えてもらった。戦時中はそこからここまで飛行機を運んでいたんだと。

後になってから、地元の人達は自由に栃農大の敷地内に出入りしたり別の道から掩体壕に簡単にアプローチしているらしいことを知ったが、まあこれはこれで面白かったからいいや…

▼それから余談として、道案内人さんには、ここより更に南側にある上籠谷町の名も無き山林で、戦前に女性が望まぬ結婚を強要されて赤いドレスを来て首をつって自殺したという話も聞かされた。今は幾分明るくなったが昔はもっと木が生い茂って不気味な土地だったので、上の部落に住んでいる住人は、夜は特に気味悪がってこの辺りを通りたがらないのだと。道案内人さんは、亡くなった女性を知っていたという地元のおじいさんからこの話を聞かされたらしい。

▼道案内人さんに別れを告げて、先ほどの猿人像のあった集落付近を振り返ってみると、確かに一帯は低くなっている。

それから道案内人さんに、栃木県農業大学校の駐車場付近にあるという観音像のことも教えてもらい、帰りに寄ってみたが、すっかり暗くなってしまったこともあり、こちらは見つけられなかった。本当かどうか知らないが、道案内人さんの話によると、まっすぐの道にも関わらずなぜか交通事故が多いので観音像を建立したがそれでも事故が減らないとのこと。うーんちょっとオカルトっがかってる。

すっかり暗くなり、鐺山(こてやま)十字路バス停から路線バスに乗って宇都宮東武バス停まで移動した。運賃500円。

▼オリオン通りの商店街で着替えを買い、御食事処一条という食堂で夕食を食べた。

▼中華丼 650円

▼東湯という銭湯に向かったが、すっかり解体されて跡形もなくなってる。

▼さざなみ湯という銭湯に向かった。こちらは健在。

大人420円。普通の平均的な昭和の銭湯。番台式。木札の下駄箱。定番の昔ながらの藤カゴ、ドライヤー椅子、黄色いケロリン桶あり。ハンドドライヤーは不明。ドライヤー椅子で髪をかわかした、20円。浴室にペンキ絵はなし。洗い場の壁に雪山・城・教会・白鳥が描かれたヨーロッパの湖畔のモザイクタイルの壁画あり。洗い場の棚には洗い場の鏡に地元商店の広告。浴槽は紺色の無地タイル張りで、2つにわかれている、ジェット式。

藪漕ぎしたせいで、髪の毛を洗っていたら頭から小枝がたくさん落ちてきた。

▼歩いて宇都宮駅まで帰る。粕谷ビルという古ビルが変な解体のされ方してた。階段部分の壁に穴が開いてる。

▼藤江という旅館をみつけてちょっと気になる。

▼大谷石で造られた公衆トイレ。民家の塀とかでみかける石よりテカってる気がする、何か細工施してるのかなと思って触ってみた。少しツルツルしてる感じがする。

▼おまけ 往路時に押した駅スタンプ。JR宇都宮線・自治医大駅。改札内に設置。全1種類。

▼おまけ 往路時に押した駅スタンプ。JR宇都宮線・宇都宮駅。改札内に設置。全1種類。

電車に乗って無事帰宅した

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郡山駅 東北本線 駅スタンプ押印

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東京都・新宿区

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