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旧東京市営真砂町住宅~旧菊坂町~鐙坂~菊水湯~金田一京助・春彦旧居跡~謎のセメント穴

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文京区の菊水湯の営業が最後の日。
春日駅から歩いて菊水湯に行き、帰りは水道橋駅まで歩いた。
この辺は昔の情緒が所々に残っている町なのだな。

▼都営大江戸線の春日駅にて駅スタンプ押印。改札内に設置してある。全1個。

▼A3だかA4だかよくわからないが、春日駅と後楽園駅が一緒になってる出口から出た。駅を出たら頭の真にシビックセンターがあってびっくりした。
この辺あまり来ないから唐突に奇抜な建造物に出くわすと驚いちゃうわー。

▼めったに来ないから東京ドームの屋根見るだけでもどきどきしちゃうんだが、それよりも手前の階段上の建物が気になった。これが後楽園駅なのらしい。裏側のごちゃごちゃ具合、昭和の雑居ビルかと思った(目が悪いのでこの時は後楽園駅の文字がみえなかった)。

▼横断歩道をわたるときに気になる感じのレトロな建物があった。東京電力の大塚制御所という施設らしいが、この辺は再開発事業の指定地域に入ってる。2015年5月のストリートビューでは既に解体告知の看板まで設置されている。建築史的な価値はないんだろうけど、いいビル系で好きだわー。

▼後楽園ビューハイツ
名前に時代を感じるマンション。1978年5月(昭和53年)築らしい。
道幅のわりに高い建物がそそり立ってる感じ、ニューヨークみたいだな。

▼右側の一連のビルは再開発により軒並み消える予定

▼この辺は旧春日町(三丁目)らしい

▼多津美寿司のわきの道を奥にはいってみる。細い路地に古い木造家屋が取り残されていた。高いビルに見下され窮屈そうだけど、ここだけ時が止まったような情緒が。

▼家屋の塀には再開発告知の看板が貼られていた

▼ここもいつ貼られたものなんだろうか

▼ここも解体予定のアパート

▼測量会館のビルがこんな裏路地にあるとは思わなかった。日本測量協会は3月30日(月)に移転済みの告知が貼ってある。

▼地図には別の通りに抜ける道が記載されているのに、該当する場所にはこれといった道がなく、一見して行き止まりのように見える光景で戸惑う。

▼戸惑いつつも地図のままに歩むと家屋と家屋の間に道とはいえなそうな道(通路)が存在していた。これ私道かな通っていいんかいなと狼狽えながらも…まわりがアパートなので一応セーフそう。ってか、ここも再開発指定地域なのでいずれ区画整理されてこの道も消える運命だと思うので、記念通行。

▼再開発で消える運命の路地

▼室外機がたくさんついてる春日スカイハイツビルや、その隣の古ビル、手前の低層家屋も消える予定。室外機のある光景、好きなんだよな。再開発はこの辺のアーケードのある商店街まで行われる模様。

▼白山通りを横断し、工事中のシビックランド日成の跡地の脇の道をとおって清和公園へ。古い石垣が気になる。

▼清和公園に昭和8年の石柱があった
参考:文京区 清和公園
『戦前にはすでに遊び場として利用されていましたが、戦災により荒廃していました。近隣住民の署名運動により、昭和26年(1951年)に東京都立公園として開園した後、文京区に移管され、昭和56年から57年にかけて改修を行いました。』
昔は右京山と言われていて、小説の姿三四郎が桧垣源之助と決闘を行った「右京が原」とはここのことらしい。

明治時代~昭和前期までの地形図を見ると、この辺は昔からぜんぜん地形が変わってないんだな。それと、昭和前期(戦前)までずっと謎の★記号が地図上にある。

ヤフー知恵袋に『昔の地図記号のことで教えていただきたいのですが、以前、知恵袋の質問に「☆(星形)の地図記号ってありますか?」というのが出ていて…』という質問があったけど、いまいち何だかわからず。『戦況地図の見方 – 歴史 _ 教えて!goo』でも「星型マークは司令部」と書いてある。やっぱ陸軍司令部のマークだろうか。

▼右京山(清和公園)を抜けて少し歩くと、古建築にしか見えない小洒落たマンサード屋根の民家が見えてきた。史跡とか文化財に指定されていてもおかしくなさそうな見た目なのに、現役住宅なのでちょっと困惑。あとで調べたら、やはり旧東京市営真砂町住宅という大正12年築の古建築だった。古建築だけど、ちゃんと手入れが行き届いていてとてもきれいだ。

参考:文京区本郷の近代建築|東京都文京区 – 伝統の日本紀行伝統の日本紀行
参考:旧東京市営真砂町住宅(東京都文京区)_ 日常旅行日記
参考:東京市営真砂町住宅(1)/文京区本郷4丁目 – ぼくの近代建築コレクション

東京市は1923年(大正12年)~1925年(大正14年)に本郷台の右京山を開発し、住宅不足緩和のために真砂町に公営住宅を46棟75戸建てた。この2棟は第2期に造られたものらしい。

▼こちらも近くにあった旧東京市営真砂町住宅の民家
古建築が退役せず現役のまま大切に使われ続けている光景はいいものだな

明治時代1950年の地形図で田町と表記されてるあたり。中層ビルと低層民家がごっちゃになっていて面白い。南に清和公園(右京山)があり、昔からこの辺りはいびつな地形になっていたみたいだ。

▼いびつな道を折れて菊水湯の方に向かって行く。丈のある古い石垣が気になる。どうやらこの辺の石垣は大谷石を使っているらしい。先ほどの清和公園の石垣も大谷石だったのだろう。いつか巨大地下空間のある大谷資料館に行ってみたい。

▼石垣にあいた穴が面白い。自然の年月が生み出した造形だろうな。こんなのもあった→大谷石の石垣アート:豊島区・文京区にて ( 東京都 ) – 日々の泡 L’Écume des jours – Yahoo!ブログ。人工と自然が庶民的な形で共存してる。

▼この辺は旧菊坂町らしい。昭和40年までの町名。500年以上も前の昔、長禄年間(1457-1460)このあたりは菊畑が広がっていたらしい。
参考:佳景探訪 – 本郷/菊坂界隈(東京都文京区)

▼更に細い路地際には丸窓のある古民家も残る

▼コンクリート製ながら、地形に沿った曲線の造成がおもしろい

▼鐙坂(あぶみざか)入口の三叉路に到着

▼鐙坂の石垣 いい石垣

▼鐙坂 反対側は大谷石(?)の石垣

▼鐙坂。狭い路地への入口。樋口一葉の旧居跡へはここからも行けるみたい。

▼狭い路地の入口の石垣には「相生荘」の表札があった。しかし地図でしらべると現在この辺には「相生荘」という名のアパートはない。

▼昭和の小中学校の図画工作などでも好まれた銅板工作のレリーフだな。いい味わい。

▼鐙坂から菊水湯の煙突がみえる

▼鐙坂にて2つ目の細路地。ここから樋口一葉の旧居跡へ行ける。

▼鐙坂には金田一京助・春彦の旧居跡もある

▼この辺は旧真砂町らしい

▼鐙坂を登り切ったところには財務省関東財務局の真砂住宅がある

▼蔦だらけのすてきな古家屋がある

▼電線までもが蔦まみれ

▼文京区の下水道マンホール

▼鐙坂を引き返して、菊水湯に向かう

菊水湯(きくすいゆ)
〒113-0033 東京都文京区本郷4丁目30−16
03-3815-2637
営業時間 15:30~25:00
定休日 金曜
2015年9月30日をもって廃業
460円

唐破風、懸魚飾り、富士山の大きなペンキ絵、井戸水、薪炊き、高い天井、宝寿湯、日替りハーブ湯(冬のみ)、番台、昭和造りの昔風の銭湯

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▼菊水湯の向かいには「バーバーみながわ」がある。可愛らしくも味わい深い家屋

▼バーバーみながわ 店頭のぶどう棚は実がなっていた

▼バーバーみながわ

▼バーバーみながわ やばいタイルかわいい

▼菊坂と菊水湯を結ぶ小さな階段

▼菊水湯のわきには昔ながらのダストボックスが残る。昭和のダストボックス好き。

▼営業最終日なので、菊水湯前には人だかり。三脚やビデオカメラを抱えた撮影隊もいた。なんとかタイミングを見計らって人のいない写真を撮影。桜湯は明治時代に営業を始めたとされ、100年以上の歴史をもつ銭湯だった。

▼菊水湯 建築計画のお知らせ

▼夭本医院という産婦人科は既にない模様

▼菊水湯 閉業の挨拶

▼菊水湯 下駄箱

▼下駄箱はあたらしめだが、傘ロッカーは定番のレトロなさくら製

▼この日も深夜1時までの営業だった。東大やNHKも撮影にきたし、結構な人が最後まで見送ったのかな。

▼脱衣所入口。脱衣所には金魚や亀を飼ってる水槽が3つもあった。番台の写真も撮らせていただいたが掲載は割愛。

▼営業最終日だからか入浴客全員に菊水湯の名入りのタオルを配布していた。ありがたく頂く。

▼脱衣所の置物

▼このカエルが可愛くてヤバイ

▼ちょうど湯上がりに脱衣所のテレビで菊水湯閉業のニュースを放送しだした。菊水湯にいながら菊水湯のニュースを見るというシチュエーションに入浴客の間でクスクス笑いが起きる。

記憶にある限りの菊水湯の浴室(女湯)のメモ。ペンキ絵は浴槽側と出入り口側の二ヶ所あり。入口は立山ライトレールの絵。浴槽側は富士道(だったと思う)2011.5.13ナカジマサイン入り。宝寿湯(ぬるい薬湯)と、通常湯温のエレキマッサージ湯とポイントマッサージ湯。浴槽は2つ。シャワー台は20個以上あり。シャワーの勢いがとても良い。ハンドドライヤーは故障していて使えなかった。ドライヤー椅子も使えず、生乾きのまま出てきた。冬じゃなくて良かった。定番のレトロなドライヤー椅子、籐カゴ、ケロリン桶、さくら下駄箱あり。番台式。

東大の研究グループが360度の画角で撮影できるカメラを持ち込んで撮影していったというから、浴室の写真もいずれ公開されることを期待したい。

▼湯上り後、鐙坂を登って水道橋駅に向かう

▼背の高いビルの合間に古い家屋が残された一角を見かける

▼この辺は旧弓町というらしい

朝陽館 本家という純和風な旅館を見かけた。以下のブログで室内写真を確認できるが、宿泊料が極端に高いわけでもないし、いつか泊まってみたい気分にも駆られる。
参考:きまじめチキン日記_朝陽館 本家 – livedoor Blog(ブログ)

▼本郷ハウスという昭和感あふれながらも奇抜な形のビルをみかける。

↓こちらのブログのほうが明るい時の写真で奇抜な全体像がわかりやすい。
参考:異形のせり出しタワー 「本郷ハウス」 -東京冒険紀行

↓以下のブログ、サイトにも別アングル写真が掲載されている。不動産屋の物件情報にすら「畏怖すら感じる圧倒的な迫力。要塞の名がふさわしい質実剛健のヴィンテージマンション」と書かれてるのはすごい。
本郷ハウス 808号室 (文京区の不動産情報)実用春日ホーム
鳳明館、炭団坂、朝陽館本家 本郷の木造旅館と坂 – 墳丘からの眺め

ストリートビューもすごい

▼東洋学園大学本郷キャンパスのモザイクレリーフ。建築家今井兼次によるデザインで1961年完成。2007年竣工の新1号館に引き継がれたらしい。

▼佐藤桂子舞踊研究所なる建物をみかける

▼昭和2年(1927年)築の旧元町小学校(現・順天堂病後児ルームみつばち)に行き当たる

参考:震災復興小学校と公園、旧元町小学校・元町公園|東京都文京区 – 伝統の日本紀行伝統の日本紀行

▼このあたりは旧元町一丁目らしい

▼昭和4年築の昭和第一高等学校(旧昭和第一商業学校)の校舎
屋外のテニスコートでは生徒たちがテニスの試合(練習?)をしていた
参考:ノスタルジックなレトロ建築を訪ねてみよう!~文京区本郷~

▼旧元町小学校と昭和第一高等学校(旧昭和第一商業学校)の間の坂道をくだっていく

▼元町公園の壁に不自然に塗りつぶしたことがわかる謎のセメント穴が2ヶ所ある。
これなんだ?

セメントの質が悪く無造作な埋め方なので、隙間から雑草が生えている。
不自然な昭和のトマソン…
ぐぐってみると、元町公園と元町小学校は、関東大震災後に、復興公園および復興小学校として建設されたもので、1943年頃には公園の下に防空壕が造られたらしい。この横穴はその防空壕の何らかの遺構ではないかとの噂。こういうちょっと薄気味悪さを感じさせる都会の情景イイ!(・∀・)

参考:真夏の夜のミステリー「横穴跡とトイレの花子さん、731部隊」 _ 東京坂道ゆるラン
参考:元町公園いろいろ年表

▼水道駅に到着。改札外に設置してある駅スタンプを1個押印して電車に乗った。

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