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花岡鉱山の周辺施設や花岡事件関連史跡など(花岡線以外)

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▼花岡鉱山周辺マップ

▼戦後2年目の花岡鉱山周辺 
1947/11/17(昭22) USA M656-1 39 航空写真

▼鉱山最盛期(昭和30年代)には商店街がたくさん建ち並び、繁華街としてにぎわっていたという花岡桜町の町並み。

1975年(昭和50年)の桜町の航空写真をみると、細々とした民家や商店が密集している。今は解体されて空地になった家屋も多い。

▼桜町にあるウロコ寿し。営業している気配はない。

※追記:ウロコ寿しは2012年10月以前に解体された模様。

▼桜町の寿し仲(すし仲)

▼桜町の虻川自転車店。

▼桜町の廃商店。
※追記:2012年10月以前に解体された模様。

▼桜町の廃商店。
※追記:2012年10月以前に解体された模様。

▼桜町

▼きもの・京洗い・染み抜き・クリーニングの店

▼煙突があるので、旧銭湯か?気になる。

▼廃スーパーマーケット「だいさん」。1970年(昭和45年)8月2日に「同友花岡店」としてオープン。同友が倒産した後、スーパーだいさんオープン、その後廃業した。同友は、藤田組(後の同和鉱業、現DOWAホールディングス)が小坂鉱山労働者の福利厚生のために開設した供給所が起源。1969年に同和鉱業から分社化し同友株式会社が設立され、秋田県北地方や青森県大鰐町に店舗を展開していったが、経営悪化により2002年マックスバリュに吸収合併され、同友という会社は消えた。

90年代末頃、滝ノ沢共同浴場に行って、その帰りのバスの待ち時間に同友でお菓子を買って食べた記憶がある。

参考:同友-Wikipedia
参考:★☆★新大館市スレ//Part19★☆☆ まちBBS

▼花岡ではめずらしくギラギラした明かりを灯してる店。こんな明るいのはここ1軒のみ。

▼久留島公園。昭和39年(1964年)、花岡鉱山病院の前庭に、花矢町によって造られた。

参考:大館地方の歴史散歩 P.48

同和鉱業発展の礎をつくった元社長・久留島秀三氏にちなんで、『久留島公園』と命名された。

▼久留島公園は開園から20年後の昭和59年(1984年)7月7日に、改園整備された。花岡鉱業所所長・小竹康雄。

▼久留島公園 鉱山で死亡した人の忠魂碑・供養塔。遠い将来への贈り物としてタイムカプセルも埋設されているらしい。

▼久留島公園 花岡鉱山の歴史を刻む同屋敷坑記念碑が建立されている。

▼久留島公園 同和鉱業花岡鉱山・堂屋敷坑記念碑 退転者友の会。

▼これは噴水の遺構?

昭和50年(1975年)の航空写真を見ると、まだ花岡鉱山病院の建物が現存している。昭和59年(1984年)の改園前の久留島公園は噴水池のある公園だったらしいが、航空写真を見ると改園前のほうが人工的に整備されているように見える。

▼私立花岡体育館。花岡事件の現場。共楽館の跡地に建つ。市立体育館から弓道場までの一帯が、かつての共楽館広場。共楽館は1941年(昭和16年)1月に建築された木造一部2階建ての本格的映写設備を持った立派な建物で、花岡鉱山で働く人々のための娯楽施設(映画・演劇・演芸、集会場)だった。小坂鉱山の康楽館は観光施設として改修・公開されているが、花岡の共楽館は1979年(昭和54年)に解体された。現在、体育館の敷地には共楽館址の石碑がたてられている。

花岡事件:1945年(昭和20年)、姥沢の中山寮で寝泊りし花岡川の改修工事にあたっていた約800人の中国人労働者が、過酷な労働にたえかね、集団蜂起・脱走し、次々と捕縛され、共楽館前の広場に一斉に集められ、炎天下3日3晩にわたり拷問を受け、総計400名以上が死亡した事件。

参考:花岡事件 _ 大館郷土博物館
参考:花岡事件 – Wikipedia

▼共楽館広場の跡地に建つ市立弓道場(左)と花岡体育館(右)。滝ノ沢沈殿池から流れてくる赤い色をした水は鉱水処理場のわきを通って旧花岡川と合流。

▼在りし日の共楽館(大館の歴史 大館市市史編さん委員会 P.172より)。

▼在りし日の中山寮(大館の歴史 大館市市史編さん委員会 P.172より)
中山寮は滝ノ沢沈殿池の湖底に沈められてしまった。

中山寮についてググっていたら、中国のサイトに画像がたくさん載っていたので、そこから画像を借りてきた。

花冈中山寮

▼中山寮 花岡にあった中国人労働者の収容所。中山寮劳工集中营

日本鹿岛组花冈营业所中山寮全景。

中山寮内劳工栖身处

▼骨と皮ばかりにやせこけた中山寮の中国人労工たち。中山寮(1945年10月)
骨瘦如柴的中国劳工。图为中山寮部分劳工1945年10月照。

大量に出土した中国人労働者の遺骨

▼花岡体育館の敷地内に建つ共楽館址の石碑。
参考:花岡事件を歩く 7(全文記載)

▼畠沢恭一像(はたざわ きょういち) 花岡体育館敷地内
和二十二年から連続十一回当選、県議会史上の最長不倒記録保持者だったとか。

▼慰霊のための女性ブロンズ像 花岡体育館敷地内
共楽館解体直後、市民からモニュメントを設置すべきであるという要望が沸きあがり、それに対して市長が「犠牲となった中国人を慰霊する意味の、女性ブロンズ像を建立したい」という意向を示し、共楽館跡碑と一緒に建立されたもの。

参考:花岡事件を歩く⑦

女性の労働者はいないと思っていたが、なぜモデルが女性なのだろう。

▼施設係 鉱水処理場

▼施設係 鉱水処理場

▼どんぶり型をした鉱水処理場の施設

▼昭和38年3月に竣工された柏橋(かしわはし)。

▼柏橋(かしわはし)。親柱には「姥沢川」と書いてあるが、ゼンリン住宅地図を見ると旧花岡川と姥沢川両方書いてあって、困惑。

▼柏橋(かしわはし)

▼柏橋(かしわはし)の下を流れる姥沢川(旧花岡川?)の水は、酸化鉄の影響で赤茶色をしている。現在も花岡鉱山からの中和水が流され続けているのだろう、とのこと。

参考:釈迦内小学校周辺散策 大山へ登る

▼住宅名はわからないが、久留島公園向かいの空き地には、昭和50年(1975年)昭和61年(1986年)あたりまでは、社宅らしき家屋が密集していた。現在は古い木製電柱が残る。

▼北前田住宅および前田住宅の一帯は、むかしハーモニカ長屋と呼ばれていた。名前の由来は「同じ大きさの建物が横一列に並んでいる姿がハーモニカの吹き口に似ていたから」らしい。鉱山全盛期には鉱山従業員のための長屋住宅が立ち並び、いかにも鉱山町らしい風情を呈していたといわれる。
北前田住宅長屋群の跡地は植林地に変わり、前田住宅長屋群の跡地には県営花岡改良住宅や市営前田住宅が建てられた。
中山寮の中国人労働者達は、冬も夏も一列に連なり、堂屋敷を通り抜け、前田住宅街の裏道を通り、七ツ館から信正寺寺門前に至る道を歩き、花岡川改修工事現場まで向かった。

参考:花岡鉱山百年の回顧 – 大館市
参考:どだすか大館ブログ 思い出の花岡鉱山写真展

参考:花岡事件を歩く 3

▼前田住宅。昭和34年には人口が1万2千人を超えたこともあった。

▼昭和初期の花岡鉱山役宅街


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