Skip to content →

同和鉱業 小坂鉄道・花岡線の廃線跡めぐり

日本 > 東北地方 > 秋田県 > 大館市 >

花岡鉱山 所在地:秋田県北秋田郡花矢町花岡町字堤沢

小坂鉄道 沿革
大正3年(1914) 大館~小坂間 花岡鉱山専用鉄道として開業。
大正4年(1915) 小坂鉄道に買収され花岡線となる。
大正5年(1916) 旅客輸送開始。
不明 同和鉱業の系列となる。
昭和59年(1984)  花岡鉱山閉山
昭和60年(1985)3月31日 花岡線廃止。

▼花岡線の時刻表 (日本國有鉄道編集 時刻表 昭和25年10月號より)

▼花岡線の時刻表(国鉄監修 時刻表 昭和36年(1961年)10月号より)

花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和22年8月30日発行より)

▼花岡線 位置図(大館 五万分一地形図 昭和32年8月30日発行より)
花岡駅より以北に長く伸びていた引込線が、短くなっている。

現在の花岡線マップ

花岡線 堤沢~堂屋敷間 航空写真(1975年)

花岡線 松峰~堤沢間 航空写真(1975年)

花岡線 板子石~松峰間 航空写真(1975年)

花岡線 大館駅~板子石間 航空写真(1975年)

▼JR大館駅。
映画『HACHI 約束の犬』(原題:Hachi)の影響か、駅前のハチ公像の写真を撮る観光客がいた。連休中のせいか駅前の食堂(花善)が盛況だった。駅を出て右側にあった観光案内所の建物は解体され、観光案内所は左側に移動していた。

▼昭和9年の大館駅(「大館の歴史」 大館市市史編さん委員会 平成4年3月31日発行より)

▼昭和前期頃の北秋木材株式会社の構内図と大館駅引込線(「大館の歴史」 大館市市史編さん委員会 平成4年3月31日発行より)
現在も北秋本社の敷地には立派な木造建築が残っている。

▼JR大館駅を出て右手側にある貨物置き場と引込み線スペース。小坂鉄道・花岡線の旧大館駅は約100mほど先にあった(2000年6月に解体)。奥羽本線や花輪線と小坂鉄道ではレール幅が違うので、乗り換えおよび貨物の積み替えをする必要があった。今から70年以上前の1944年(昭和19年)に花岡事件で亡くなった中国人達も、JR奥羽本線の大館駅から乗り換えて小坂鉄道の大館駅から花岡鉱山に向かった。

▼解体された後の小坂鉄道・旧大館駅。整地?しているようだった。

▼小坂鉄道・旧大館駅付近の踏切。
数年前まで普通に貨物列車が往来していたから、いきなりの廃線風情に驚いた。小坂鉄道が小坂線の貨物の運行も2008年3月に廃止してしまったのを、この時はじめて知った。踏切のいたる所に「前方鉄道廃止 一時停止不要 段差注意 大館警察署 小坂製錬(株)」の看板が設置してあった。

▼踏切の信号機は真っ黒に塗りつぶされていた。なんだか不気味だ。

▼踏切から眺めた廃線跡と鳳凰山。毎年夏に行われる鳳凰山の大文字焼きは大館の夏の風物詩。参考:鳳凰山 (秋田県) – Wikipedia

▼踏切の西側を眺める。はここに踏切がなくて、奥羽本線や花輪線の貨物用線路と交接していたみたい。

▼道路を挟んで旧駅舎の向かい側にあった建物。よく見ると「小坂製錬株式会社 小坂鉄道大館駅」と書いてある。貨物駅があったのも知らなかった。

▼廃線跡に残る信号機。

▼小坂線は2008年3月に貨物列車も運行終了したらしいので、廃止されてから約1年半後の風景ということになる。

▼手動信号式(腕木式信号機)の御成町踏切。踏切小屋が残る。遠方に茶色い高層の大館ロイヤルホテルが見える。参考:腕木式信号機 その1 きはゆに資料

▼御成町踏切。
※2014年に車道上のレールと鉄板は撤去されたらしい。
参考:大館・小坂鉄道レールバイク – 御成町踏切の鉄板が除去され、アスファルトで覆われてしまいました。

▼花岡線と小坂線の分岐付近。
右側の倒れ掛かっている鉄柵のあたりから花岡線は小坂線とわかれ左側に延びていた。
道路の微妙なゆがみがかつて分岐点だったことを物語っている。ここから花岡線の築堤が始まる。

▼小坂鉄道 花岡線廃線跡 築堤のはじまり。
小坂線との分岐点から、奥羽本線を超えた200m先あたりまで築堤は続く。

▼花岡線の小さな橋台跡。水路を跨ぐ。

▼JR奥羽本線をまたぐ跨線橋の橋台跡が残る。

▼花輪線の跨線橋の橋台跡。南側。

▼花輪線の跨線橋の橋台跡。北側。

▼花岡土建の門柱。敷地内の突き当りに花輪線の築堤の土手が見える。

▼築堤終了部分。JR奥羽本線を跨いで200mほど北に進んだ地点でひときわ高く盛土された築堤は終わる。

▼築堤が終了した辺りからは普通の民家(住宅地)を縫う形で廃線跡が続く。
廃線跡は立入禁止になっている場所も多いが、一部は砂利を敷き詰められ公道として使用されているみたい。特に建造物が建つわけでもなく、一見して廃線跡だとわかる地形がそのまま残っている。

▼廃線土地は大館市によって管理されているみたい。

▼新松峰橋。下内川にかかっている。コンクリートの橋脚にプレートガーダーがかかる。
小坂鉄道・花岡線最大の遺構。正面に見える高い山は標高375.7mの大山。
隣に並行する剣道よりも低く小さな橋梁。

▼新松峰橋プレートガーダー。コンクリート造りの橋脚。

▼県道に沿って水田の中を北に直進すると、じきに松峯駅(松峯停留所)跡地にたどり着く(左側の水田沿いの空地)。大正5年 (1916年)に旅客輸送を開始した花岡線だが、当初大館駅と花岡駅以外に駅はなかった。旧松峰集落が地底の採鉱によって地盤沈下をきたしたため、同和鉱業と鉱害補償交渉の上、昭和48~52年(1973~1977年)に現在の松峰地区に集団移転を余儀なくされた。集団移転に伴って新たに松峰の駅が昭和48年(1973年)に設置されたが、ホームと待合室だけの簡素な駅だった。移転する前の旧松峰地区は、菅江真澄の旅行記にも登場するほど歴史ある集落だった。

▼昭和50年(1975年)の集団移転完了間近の松峰地区と松峰駅の簡素なホーム(参考:釈迦内地区の航空写真)なお、松峰は花岡でなく、旧釈迦内村の地域にあたるらしい。現在の松峰地区の航空写真はこちら

▼松峰駅をさらに北に突き進む。道路の左右に旧同和鉱業松峰鉱山部の施設がある。
右側の小高い丘は、花岡鉱山最後のヤマといわれた松峰鉱山。
標高135.9mの大森山(右)の斜面に松峰鉱の選鉱場がたっている。
松峰鉱は、1963年(昭和38年)に鉱床が発見され、花岡鉱山最後の有力鉱山として期待されたが、1994年3月29日に閉山した。現在はDOWAエコシステム花岡の施設となっている。

▼松峰鉱の坑内系統図(大館郷土博物館展示)。
左上の小さな小山が大森山。
地上に出ている部分がほんの少しで、地下坑内の深さと規模にビックリする。

▼松峰地区のボーリング風景 昭和38年頃の同和花岡(大館の歴史 大館市市史編さん委員会より)。中央が大森山?大館郷土博物館にも展示あり。

▼大森山ふもとのDOWAエコシステム花岡のシックナー群

松峰鉱の精鉱舎。
この施設に手前に小坂鉄道・花岡線が走っていて、ここから鉛精鉱や硫化精鉱(含有量を高めた鉱石)が積み出されて小坂鉱山の精錬所に送られていた。
引込み線も敷設されていた。

▼花輪線は一度県道と離れ、旧花岡川の西側を通って橋を渡り、同和鉱業・白根山社宅と花岡サテライトハイツの前で再び県道と合流。白根山団地はとっくに解体されていて、一面雑草の生い茂った空き野原となっている。

スターハウスの花岡サテライトハイツ。既に住民は撤退し、廃団地となっている。1965年~1975年の建設。サテライトハイツの前のバス停は、社宅が跡形もなくなった2009年9月現在も「白根山団地」という名前のまま。
※花岡サテライトハイツは2014年に解体された。

▼白根山団地の跡地から堂屋敷方面(北側)の景観。この辺から商店がぽつぽつ出てきてひらけた雰囲気になる。

▼昭和40年9月竣工 堤沢橋

▼堤沢橋のすぐわきに花岡線の小さな廃橋梁が並行する。

▼堤沢橋わきの小さな廃橋梁は、コンクリートの他に木材も使われている。下を流れる大森川(旧花岡川)は、滝ノ沢沈殿池から流れてくるもので、酸化鉄の沈殿で赤錆びた色をしている。今でも花岡鉱山の中和水が流されているのではないか、とのこと。しかし2000年09月30日発行の河北新報朝刊では「清流化進む大館の大森川」と題し「大館市内を流れる大森川(旧花岡川)の生息調査で29日、今まで生息が確認されていなかったブラックバスが見つかった。」という記事が発表されたらしい。
参考:ブラックバス問題 ニュース・ヘッドライン(バスおよび移入生物関連の報道と動静)

▼廃線跡は同和レア.アース株式会社 花岡工場の細長い建物の手前をまっすぐ突き進む。この工場は昭和50年(1975年)の航空写真に写っていないので、昭和50年以降に社宅か役宅か何かの跡地だった所に建てられたみたい(昭和45年の航空写真および昭和22年の部位群撮影の航空写真でこの辺りに長屋建住宅のような細長い建物がびっしり建っているのを確認できる)。

▼同和工業株式会社。鉱山事務所の跡地に、昭和50年(1975年)以降に建設された模様。1990年代末頃まではここに鉱山事務所前バス停があったように記憶している。

▼終点・花岡駅の跡地。
この赤い屋根の建物の手前(涙型の墓地との間の広場あたり)に、花岡駅の駅舎があった。ここを基点に放射線状に道が四方に伸びている。昭和45年のモノクロの航空写真にこの建物と同じ形状の建物がうつっている(昭和50年の航空写真では屋根が青い)。花岡線が現役だった頃の鉄道施設だったのかも。

▼花岡駅の跡地。駅は終点だが、昭和20~30年代にはここより500~600mほど先の堂屋敷鉱床のほうまで引込線が伸びていた。

▼昭和55年発行の地図にも引込線が記載されていた。亡くなった大館の祖母宅からもらってきた地図。昭和50年(1975年)の航空写真でも引込線を確認できる。

▼引込線の跡地にそって建つ青い細長い建物。昭和45年(1970年)の航空写真昭和50年(1975年)の航空写真でも、同じ形状の建物を確認できる。こちらのサイト様に1980年代の花岡駅の写真が掲載されており、これらしき建物から電車が顔をのぞかせている。どうやら現役当時から残る鉄道関連施設らしい。

▼昭和初期の花岡鉱山事務所と花岡線の線路と汽車。大館市観光協会ブログにも昭和20年代前半の花岡鉱山事務所の写真が掲載されている。

▼J-STAGEの資料(花岡鉱山堤沢鉱床の露天採掘)[PDF]より

▼J-STAGEの資料(花岡鉱山堂屋敷鉱床の採鉱法について)[PDF]より

参考サイト:
同和鉱業花岡線 – Wikipedia
大館 鶏めし 花善 懐かしのアルバム 小坂鉄道

参考文献:
鉄道廃線跡を歩く〈7〉 宮脇俊三(著)
大館地方の歴史散歩 無明舎出版

往時の花岡駅の写真掲載ブログ様:
稲門歯科医院 花岡駅 1979年
小坂鉄道レールパーク運転体験(2)同和鉱業だった頃の思い出。 – 中京テレビ_稲見駅長の鉄道だよ人生は!! 昭和53年(1977年)
鉄道趣味工房 写真アルバム 同和鉱業小坂鉄道 昭和50年
東北私鉄廻り~6~同和鉱業 花岡線小坂線。 ( 鉄道、列車 ) – 主水のひとり言 – Yahoo!ブログ 1979年
線路巡礼:同和鉱業花岡線(小坂駅から直通列車が走っていました) ( 鉄道、列車 ) – 線路巡礼♪ – Yahoo!ブログ 1984年
043 同和鉱業小坂線、花岡線 – おかひめの鉄道記録 昭和50年
同和鉱業小坂鉄道_ 鉄道趣味っと 1980年代


 前のページ
松尾鉱山中学校(生活学園)(解体済)

岩手県・八幡平市
次のページ 
花岡鉱山の周辺施設や花岡事件関連史跡など(花岡線以外)

秋田県・大館市
1,023 views