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日立市武道館(旧共楽館) “Kyoraku-kan” a Place for Entertainment

日本 > 関東地方 > 茨城県 > 日立市 >

▼平成13年に国登録文化財に指定された日立鉱山の旧共楽館(現在は日立市武道館となっている)。鉱山が建設した芝居小屋で現存するのは小坂鉱山の康楽館と日立鉱山の共楽館のみらしい。パッと見は康楽館よりは規模が小さそうに見えた。手前の橋は昭和10年3月竣工の瑞穂橋で、宮田川に架かっている。

日立市武道館(旧日立鉱山共楽館)
日立武道館は、大正6年(1917年)4月に東京の帝都歌舞伎座の構造を模して新町に造られた豪壮雄大な劇場である。「共楽館」の名称で歌舞伎や映画を主として市民に親しまれてきた。昭和42年9月に日本鉱業㈱の厚意により日立市に寄贈されることが決定し、一部改造後、昭和43年に柔剣道を主とした体育施設「日立市武道館」に生まれ変わった。現在は青少年の健全な育成の場として幅広く開放されている。共楽館はその外観や規模から「上野以北にその比少し」と称され、文化的行事の中心となった。共楽館には六代目菊五郎、十五世市村羽左衛門をはじめとして名の売れた俳優や歌手などが出演した。この地方最大の収容能力から大きなイベントにも使われた。相撲の巡業、柔道・剣道、各種団体の催事から、小学校の学芸会・学校映画界に至るまで、共楽館が会場だった。今では想像もできないほど人気のあった素人演芸会もこの舞台で演じられた。昭和20年以降は、常設映画館として親しまれた。テレビ普及前は映画がもっとも庶民的な娯楽だった。社内報で一番読まれる記事は、翌月上映予定の映画の解説で、映画全盛期の名画という名画が上映され、観客を楽しませた。市中の3分の1ほどの入場料金は、本来は従業員・家族の料金だったが、一般市民も断られることはなかった。テレビ普及とともに観客が減少して上映を中止、1967年(昭和42年)、日立市に寄贈され、現在は武道館として使われている。(日鉱記念館展示パネルより)

共楽館
所在地:茨城県日立市白銀町2丁目21番15号
電話:0294-22-0361
建設工事費 32,555円(大正6年4月)

共楽館を考える集い
〒317-0056日立市白銀町2丁目22番28号
電話 0294-21-4884

参考:
日立鉱山の絵葉書 井上真治 日本の鉱山絵葉書・第2集
財団法人日立市体育協会
宮田川周辺の歴史 きらら
大正の芝居小屋 「共楽館」 きらら
共楽館 (きょうらくかん) いばらきの産業観光 kanko.pref.ibaraki.jp:80/sangyo_kanko/sisetu/142.html(リンク切れ)
Google Maps

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1917年(大正6年)。
『完成して間もない共楽館の姿。内部は二階、回り舞台や揚げ板のある大芝居用のものである。収容人員は公称980名だったが、人気俳優や歌手の出演のあるとき、NHKのど自慢大会などの人気の催事の時にはその3倍を収容したという。当初は、毎月3日ないし5日演劇・歌舞伎・音曲を興行し、そのほかに従業員の修養のため名士の公演などが開催された。』(日鉱記念館展示パネルより)

手前の宮田川にかかる橋は、架け替え前かな。現在の瑞穂橋は昭和10年3月竣工なので。共楽館の石垣の形が今と同じ。

▼共楽館の内部。1929年(昭和4年)。「明治会日立支部の発表会の写真。観客席はいっぱいに埋まり、立ち見の人もいる。この当時は、行事の後にあるアトラクションが楽しみで人々が集まったものだともいう。市民会館のような大きな収容能力をもつ施設がなかった時代なので、共楽館が代わりに使われたのである。」(日鉱記念館展示パネルより)

▼昭和10年の共楽館(日立市郷土博物館 収蔵資料展 ふるさとの玩具 平成20年11月1日~平成21年2月22日会期 案内冊子より)

▼共楽館での映画会のようす(昭和10年)(日立市立郷土博物館 市民と博物館No.87より)

▼古絵葉書。「日立鉱山劇場共楽館」(日立鉱山の絵葉書 井上真治 日本の鉱山絵葉書・第2集)

▼日立鉱山劇場共楽館中央とその付近。
「宮瀧分店発行。新町には商店街が形成され、大正7年(1918年)の商店街には50の店舗があった。共楽館付近には料理店や酒店が集中していて、新町商店街の盛り場の中心となった。」(日立鉱山の絵葉書 井上真治 日本の鉱山絵葉書・第2集)

▼旧共楽館の斜め向かいにある日鉱斬道館。現在は剣道の稽古場になっている。
ストリートビュー

▼ほぼ日鉱斬道館の敷地内にあるように見えるが、この木造建築も日鉱斬道館の関連施設?

▼武道館前バス停ベンチ。

▼こちらは一本杉付近にあったらしい本山劇場。1913年(大正2年) Google Maps

「共楽館の完成4年前に建てられた本山劇場。収容人員は共楽館よりわずかに小さいが、内部は3階の本格的な芝居劇場であった。共楽館の催し物は、すべて本山劇場でも舞台に乗せられた。芝居や映画のほか、小学校の学芸会、素人劇団の演劇、全国優勝した日立鉱山のブラスバンドの演奏、山中友子取立式、労働組合の大会など、まさに鉱山社会と密着した存在だった。」(日鉱記念館展示パネルより)

▼昭和49年度(1974年)の航空写真に本山劇場周辺の位置関係を加筆してみた。いまいち場所がはっきりわからないものもあり。
CKT-74-10 常陸大宮 1/8000 NJ-54-24-5 5万分の1地形図名:日立 C14 番号18

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静岡県・伊豆市
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本山の一本杉 (日立鉱山)

茨城県・日立市
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