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(廃校)日立鉱山 大雄院小学校跡

日本 > 関東地方 > 茨城県 > 日立市 >

▼日鉱金属白銀工場付近にある大雄院小学校の閉校記念の石碑。
日鉱金属白銀工場(後ろの白い建物)の敷地内が小学校の跡地らしい。

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▼平成十一年五月五日 校友会有志

沿革

明治42年2月1日 日立鉱山第二尋常小学校創立
明治43年4月1日 日立鉱山第二尋常高等小学校改称
大正5年4月1日 日立鉱山第二尋常小学校
大正7年4月1日 日立第三尋常小学校
大正12年5月4日 日立第三尋常高等小学校
昭和15年3月 日立市大雄院尋常高等小学校
昭和10年4月 日立市大雄院国民学校
昭和22年5月 日立市立大雄院小学校
日立市立大雄院中学校併設
昭和28年4月1日 大雄院幼稚園併設
昭和42年4月1日 大雄院ことばの教室併設
昭和45年4月1日 日立教育研究所併設
昭和54年3月31日 日立市立大雄院小学校閉校
卒業生 7,865名
教職員294名
 昭和54年5月5日 日立市立大雄院小学校 校友会々員有志建之

▼石碑から少し離れたところにあった宮田川に架かる廃橋。
日鉱金属白銀工場と県道を結ぶ。
大雄院小学校に通うための橋として使われていたのかも。

▼周りの風景。
大煙突の前にある赤い鉄橋は常磐自動車道。
日鉱金属白銀工場の白い建物の手前右下に閉鎖された古びた橋がある。
石碑はこの更に手前右側。

▼橋の手前(県道側)からのぞむ日鉱金属白銀工場。

以下、大雄院小学校付近の航空写真(年代順)。

▼1946/07/24(昭和21年) 米軍撮影 USA-M205-A-7-89 日立1: 12008 NJ-54-24-5 M205-A-7 番号89

▼1961/07/27(昭和36年) 国土地理院 MKT611-C1-9 日立 1: 10000 NJ-54-24-5 C1 番号92

▼国土情報システム  CKT-74-10 昭和49年度(1974年) 常陸大宮 1/8000 NJ-54-24-5 1/50000地形図:日立 C15B 番号5





この間に閉校



▼国土情報システム CKT-80-6 昭和55年度(1980年) 水戸 1/10000 NJ-54-24-5 1/50000地形図:日立 C3 番号12
閉校して1年の間に解体されて更地になっている。

▼国土情報システム CKT-86-5 昭和61年度(1986年) 水戸 1/10000 NJ-54-24-5 1/50000地形図:日立 C2 番号12
6年の間に常磐自動車道ができ、日鉱金属白銀工場も建設されているが、学校後は依然空き地のまま。

現在のGoogle Mapsの航空写真

以下、 大雄院小学校が写りこんでいる古絵葉書。

▼日立鉱山製錬所

▼日立鉱山 大雄院全景
「白熊写真館発行。写真奥右手の斜面は製錬所から排出された鍰(カラミ)の山。製錬所の建物は鍰の山に隠されて見えなくなっている。この前の(上の)絵葉書に比べると(大雄院)小学校付近の社宅が増えている。製錬所近くの社宅が鍰(カラミ)の山の下になり、下流方向に移動したためと思われる。」(日立鉱山の絵葉書 日本の鉱山絵葉書・第2集 井上真治より)

▼日立鉱山 大雄院全景

▼昭和初期の大雄院小学校。
「師範学校の最優秀卒業生を教師として迎えた。大正時代にサッカーやラグビーを体操の時間に取り入れ、また、共楽館を利用した視聴覚教育を行うなど、国内でも先進的な教育が行われた。1978(昭和53)年閉校。」 (日鉱記念館展示パネルより)

▼大雄院病院通りの長屋と子どもたち(大正時代)。
「この通りには病院をはじめとして床屋、巡査派出所、消防番屋、共同浴場などがあった。突き当たりに小さく見えるのは大雄院小学校である。夜学校や会社の集会所などもあった。」 (日鉱記念館展示パネルより)大雄院病院の周辺はその後心霊スポットとして有名になったらしい。病院の廃墟もあったというので、解体されたのは結構後年になってからなのかな?具体的な場所はどこなのだろう。それから大雄院病院通りというのは、今の県道よりも中心的な通りだったのかな。

参考:※日立鉱山臨時掲示板  ~日立鉱山全盛期は大賑わいだった ~ いばらき解体新書。←すっごい貴重な元地元の方のコメントが載っている。

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