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市営下寺住宅(軍艦アパート)(解体済)

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「軍艦アパート」という名称で有名だった市営下寺住宅、その解体中の風景。

戦前、大阪はスラム化が進んでいたが、 この地域も不良住宅が多かった。スラム化を食い止めるための事業として、市営の改良住宅が作られていく。現在大阪の市営住宅は約2126棟あるそうだが、大正14年までに1516戸の市営住宅が作られていた。この突如として木造長屋がひしめく一帯に出現した鉄筋コンクリート造3階建ての集合住宅は、当時としてはハイカラであり、関東大震災の復興事業として建てられた東京の同潤会アパートより数年遅く建てられたが、建築の申請自体は同潤会アパートよりもずっと早かった。実のところは、元々近代的アパートメントを建てたがっていた都市計画家の片岡安が、不足していた資金を調達するため、「不良住宅地区の改良」という名目を用い、住宅事業に乗り気でなかった関一(關一)を説得したようである。現存する鉄筋公営住宅と しては国内最古だが、鉄筋集合住宅としては長崎市高島町端島(軍艦島)の1916年が最古である。同潤会青山アパート、北日東住宅(126戸)、南日東住宅(260戸)はそれぞれ1927年、1932年、1933年に完成している。しかし大阪のRC建築は、下寺住宅・北日東住宅・南日東住宅の3つを建てたところで戦争に突入してしまい、続けることができなくなった。鉄やコンクリートなどの資材も足りなくなり、しばらくの間改良住宅はRCから木造に逆戻りして建てられた。それらの木造の長屋市営住宅が近年まで確認できたそうである。

家賃は、2006年2月時点で200~600円という破格の安さだったらしいが、建設当初は「最高が月10円10銭、最低6円90銭といふべらぼうなやすさ」という1930年11月の大阪毎日新聞の記述とは裏腹に「高い」という意識も住民の間に生じていたようである。それら当初の住民はせっかくのガスや水道の使い方が分からずダストシュートをすぐに詰まらせ、最新の集合住宅をあっという間にボロ屋にさせ、1年足らずで釜ヶ崎や天下茶屋に引っ越してしまった。現在釜ヶ崎や天下茶屋周辺の町がごちゃごちゃしているのはこの集合住宅が失敗したせいだとも言われているそうである。

大阪における集合住宅の形成史
教えて!goo大阪の文化住宅の定義!
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1931年(昭和6年) 竣工
敷地 約7100平方メートル
鉄筋コンクリート造り3階建て 8棟
264世帯
水道・ガス・水洗トイレ・ダストシュート完備
風呂なし
煙突・かまどあり
大阪府大阪市浪速区下寺2-8
MapFan

▼近隣の家の前に駐車する下寺住宅の工事車両。背後の高層建築にギャップを感じる。


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